日本橋から歩き始めて、延べ16日目。いよいよ旧日光街道の最終区間である。
今市宿は二宮尊徳の終焉の地である。
本を読みながら歩く、歩きスマホの先駆者みたいな人だ。報徳二宮神社の裏手にお墓がある。
旧日光街道は現在の日光街道である国道119号線に沿っている。
戊辰戦争の激戦の痕、「砲弾打込杉」。幹のくぼんだ所が砲弾の痕である。
「野口薬師堂」本堂前に梵鐘が置かれている。裏手に子孫繁栄の信仰の対象物が祀られていた。
明治天皇が馬車から馬に乗り換え、小休止した場所。
西行がこの石の上に立つ少年にビビッて日光山に入れず、ここで折り返したと伝えられている。
地中から地表に突き出た岩盤の一端が鉢を伏せたような形のため、古来より「鉢石」と呼ばれている。日光山の門前町として栄え、江戸時代には日光街道の最終の宿場町であったのさ。
天海大僧正さんの像
終点、神橋。勝道上人が急流の大谷川を渡れず困って、神仏に祈ると深沙大王が現れ2匹の蛇を放ち、その背中から山菅が生えて橋になったというウソのような本当の話が伝わっている。
日光街道を完歩したので、次の街道を募集中!