妻と歩く旧日光街道は13日目を迎え、いよいよ宇都宮である。宇都宮は私たちが生活している町だから、端折ってしまってもいいんだが、それでは日光街道を踏破したことにならないので仕方がない。
国道4号線を北上すると雀宮の地名の由来となった雀宮神社がある。一条天皇(在位986年ー1011年)の時代に藤原実方が陸奥守に任じられ、奥州に赴く。彼の妻は後を追いかけるが、ここで亡くなってしまう。村人は妻の遺言に従い、持っていた宝珠を埋め、社殿を建て、産土神(うぶすながみ)として祀った。後年実方の霊魂が雀になって飛来したことから雀宮神社と呼ばれるようになったそうである。(伝説です。)
江曽島の一里塚跡は案内板や形跡がない。信号機に「一里」の表示があるのみである。
寛政の三奇人の一人、蒲生君平さん(1768年ー1813年)を顕彰する「蒲生君平勅旌碑」
蒲生君平さんは天皇陵の調査を行い、著書「山陵志」の中で古墳の形状を「前方後円」と記述し、今でも使用される「前方後円墳」の用語が生まれた。
お生まれは宇都宮地方裁判所の近く。
旧日光街道はここを左折するが、それは後日にして二荒山神社に詣でるため直進する。
下野国一之宮 二荒山神社の座主であったのが宇都宮氏である。三代当主宇都宮朝綱さんは源頼朝さんから「関東一の弓取り」といわれたほどのイケメンであったという。